歴史医学 2012 3 25

書名 戦国武将の死亡診断書
監修 酒井 シヅ  エクスナレッジ

 日本の戦国時代の武将というと、
記憶に残る英雄が多く、
たとえ歴史に興味がない人でも、
戦国武将だけは興味も関心もあるという人が多いでしょう。
 たとえば、「私は、この戦国武将のファンである」、
あるいは、「伝記を読んだり、史跡を訪ねたことがある」、
そういう人が多いと思います。
 この本は、歴史を医学の立場から見るという、
新しい手法で歴史にアプローチしています。
 表紙には、こんなことが書いてあります。
「織田信長
本能寺の変がなくても、あと3年で死んでいた。
 日常的な激務のストレスに加え、
短気で激昂しやすい性格が災いし、
高血圧症の疑いあり。
 味付けの濃い食事を好み、
塩分過多の傾向があることからも、
悪化が心配される」
 織田信長というと、
『敦盛』の「人間五十年、下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也」を連想します。
 織田信長が出たならば、徳川家康も気になるでしょう。
「超がつくほどの健康オタク(マニア)だった家康は、
豊富な医術の知識と徹底した健康管理で、
75歳という長寿を全うした」
 さて、ここまで来ると、
豊臣秀吉の健康は、どうだったのか気になるでしょう。
「過度な好色と贅沢な食生活が健康を蝕むも、
死因は解明できず」とあります。
 農民から関白太政大臣まで上り詰めた人には、
ありがちな私生活かもしれません。
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、
戦国時代の三大英雄でしょうが、
結局、戦国時代の覇者は、徳川家康となりました。
 後世の人が、三人の英雄の性格を川柳で表現しています。
「なかぬなら殺してしまへ時鳥」(織田信長)
「鳴かずともなかして見せふ杜鵑」(豊臣秀吉)
「なかぬなら鳴まで待よ郭公」(徳川家康)
 なかなか鳴かないホトトギスに対して、
本当のところ、三人の英雄は、どう思ったのでしょうか。
 今回は、歴史物ということで、
日本語特有の表現が多く、
英語や中国に翻訳することは困難だと思います。
 そうは言っても、「歴史が好きな中国人」や
「歴史にだけは複雑な感情を持っているアメリカ人」に
読んでもらいたい気持ちがあります。
 日本や中国では、歴史というと、
500年や1000年の単位で考えますが、
アメリカでは、聞くところによると、
10年や20年でも「歴史」になってしまうそうです。




































































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